【豊臣兄弟】松永久秀はなぜ平蜘蛛を渡さなかった?信長が茶釜を欲しがった理由とは

【豊臣兄弟】松永久秀はなぜ平蜘蛛を渡さなかった?

戦国時代を代表する悪役の一人、松永久秀(まつなが ひさひで)

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、竹中直人さんが演じ、話題になっていますよね。

松永久秀の名を一躍有名にしたのが、伝説の茶釜「平蜘蛛(ひらぐも)」です。

織田信長が何度も欲しがったこの名器を、久秀は最後まで渡さず、壮絶な最期を遂げました。

なぜ久秀は、平蜘蛛を信長に渡さなかったのでしょうか?

この記事では、歴史的事実や伝説から、松永久秀の平蜘蛛へのこだわりについて、わかりやすくご紹介します。

目次

【豊臣兄弟】松永久秀はなぜ平蜘蛛(ひらぐも)を渡さなかった?

松永久秀は、三好長慶の家臣から頭角を現し、大和(現在の奈良県)を支配した戦国武将です。

松永久秀の画像
出典:Wikipedia

織田信長に2度臣従しながらも、裏切りを繰り返した人物として知られています。

平蜘蛛(ひらぐも)とは

平蜘蛛は、中国・天明時代の古い茶釜で、正式名称は「古天明平蜘蛛」です。

底が浅く平らで、蜘蛛が這いつくばっているような独特の形からこの名がつきました。

戦国時代、茶の湯は武将にとって重要な教養でした。

名物茶器は、「一国一城に値する」と言われるほどの高い価値で、権力の象徴だったようですね。

久秀は茶道に通じ、九十九髪茄子(つくもがみなすび)などの名器も所有していました。

しかし、こちらは信長に献上していますよね。

平蜘蛛は特に珍しく、美しさと希少性で知られ、信長の「名物狩り」の対象になった茶釜です。

平蜘蛛を渡さなかった理由

松永久秀が、信長に何度も要求された「古天明平蜘蛛」という茶釜。

最終的に信貴山城で追い詰められた際、信長は「平蜘蛛を渡せば命を助ける」と条件を出したと言われています。

しかし久秀はこれを拒否し、「自分の首と平蜘蛛は、信長には見せない」と言い放っています。

出典:豊臣兄弟!公式Instagram

この決断の背景には、久秀のプライドと、名器への深い愛着があったと考えられます。

単なる道具ではなく、自分の人生や美学を象徴する存在だったのかもしれませんね。

松永久秀の最後

天正5年(1577年)10月、信貴山城に立てこもった久秀は、織田信忠率いる大軍に包囲されました。

激しい戦いの末、城は落ち、久秀は天守で亡くなったと伝えられています。

史料では、切腹後に城に火を放ったとありますが、その後「平蜘蛛に火薬を詰めて破裂させた」というエピソードが有名になりました。

茶釜を信長に渡さないという、反骨の武将として深い印象を残していますよね。

信長が茶釜・平蜘蛛を欲しがった理由とは

織田信長は、単なる武将ではなく、文化人としても優れていたと言われています。

「名物狩り」と呼ばれるほど、優れた茶器を集めていたことも有名ですよね。

平蜘蛛を欲しがった理由
  1. 権力の象徴:名物を所有することで「天下人」としての威光を示せたから。
  2. 政治的道具:家臣への恩賞や、外交の贈り物として活用したから。
  3. 個人的な美意識:信長自身が茶の湯を好み、優れた器に魅了されていたから。

特に、平蜘蛛は天下一の名物です。

九十九髪茄子を献上された後でも満足せず、繰り返し久秀に要求したのではないでしょうか。

信長にとって、平蜘蛛は「自分のものにすべき最高の宝」だったのかもしれませんね。

茶釜・平蜘蛛の行方は?

平蜘蛛の行方には、いくつかの説があります。

  • 破壊説:久秀が自ら叩き割り、城とともに焼失した。
  • 爆発説:火薬を詰めて爆発させた。これは、後世の脚色が強いようです。
  • 生存説:破片を集めて復元された、または光秀や柳生家に託されたなど。

江戸時代以降の記録では、破片が発見され復元されたという話もありますが、確かな現存品は確認されていません。

伝説の名器として、今も人々の想像を掻き立て続けていますよ。

【豊臣兄弟】松永久秀と豊臣秀吉の意外なつながりとは

松永久秀の物語は、豊臣秀吉とも深く関わっています。

信貴山城攻めでは、秀吉(当時は羽柴秀吉)も副将として参加しました。

後の天下人となる秀吉が、松永久秀の最期を間近で見ていた可能性がありますよね。

秀吉は、信長の名物集めを引き継ぎ、茶頭の千利休とともに茶道文化を大成させています。

平蜘蛛のエピソードは、戦国から安土桃山への文化の橋渡しとなっているのではないでしょうか。

まとめ

松永久秀はなぜ平蜘蛛を渡さなかったのか、また、信長が平蜘蛛を欲しがった理由についてご紹介しました。

松永久秀が平蜘蛛を渡さなかったのは、単なる意地ではなく、武将としての誇りと美学だったのかもしれません。

信長が欲しがった理由も、権力と文化への強い想いから来ているようですね。

結果として平蜘蛛は失われましたが、その伝説は今も生き続けています。

戦国時代の人々が守ってきた美の価値を、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

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